新橋にある「気の置けない友人のお店」
「大事なお店について、記事を書いてもらえませんか。」
はてなブログからそんな依頼を受けたことをきっかけに、この記事を書いている。食べることが好きなので飲食店に行く機会は多いほうだと思う。でも、大事なお店と聞かれると少し悩んでしまう。食の新しい世界を教えてくれたお店、家の近くで気楽に夕飯を食べられるお店、雰囲気がよくてくつろげるお店……。
今日は、その中から二つのお店を紹介したい。どちらも新橋にある小さな飲食店で、店主とは友人の間柄。なにより、お酒と料理がとびきりおいしいお店なのである。
「酒と肴ひらの」
一つ目は「酒と肴ひらの」という。幅広いラインナップの日本酒と酒に合う肴を出してくれる酒場だ。新橋駅烏森口から徒歩5分ほど、にぎやかなニュー新橋ビルの脇を通り抜け、細い路地を進んだ先の小さなビルの二階。急な階段をおそるおそる上った先に現れる。
カウンターが7席、テーブル席が12席のこぢんまりした作り。お店自体は新橋で20年以上営業している老舗だが、先代の店主平野さんが引退するにあたり、2017年7月に現在の店主の瀬川大地さんが引き継いだ。2019年には老朽化によって旧店舗のビルが建て直しになったため、現在の場所に移転。その際に全面的な改装をしているので、店内は外観から想像できないくらいこざっぱりとしている。
落ち着いて飲めるテーブル席もいいけれど、やはり特等席はカウンター席。瀬川さんにお勧めの日本酒と肴を聞きながら、なんだかんだと注文をするのがなによりも楽しい。
店主の瀬川さんは、東京農業大学で栄養学を学んだ後、フードコーディネートの勉強を経て飲食業界に就職し、いわゆる飲食店の本部の管理業務に携わってきた経歴を持つ。メニュー開発から経理業務、新規店舗開発までこなしてきた飲食業界のスペシャリストなのである。
しかし、カウンターに立つ瀬川さんにはあまりそういうイメージはない。どんなに忙しくても穏やかに仕事をこなし、お酒と肴については静かな情熱で何でも教えてくれる。
そんな瀬川さんがセレクトした日本酒は、店内の黒板にメニューとして掲示されているのだが、実はこれはお店にあるお酒のごく一部にすぎない。
本丸は、店内に入ってすぐ右の大きな冷蔵庫。冷やして飲む日本酒は冷蔵庫に、常温がよいお酒と蒸留酒等は冷蔵庫の上にぎっしりと並べられていて、お客さんの声がかかるのを今か今かと待っている。もちろん燗を付けることもできる。この冷蔵庫のラインナップをじっくり眺めて注文をするのもいいし、瀬川さんに好みを伝えて選んでもらうのもまた楽しい。
もう一人店に立つ山田智之さんも、酒蔵や酒場で働いていた経験を持つお酒のスペシャリスト。どちらもお酒の知識は半端ないので、このお店ではお酒についていろいろ相談してみることをお勧めしたい。
今日のお勧めを瀬川さんに聞いたところ、「まずはインターネットで映えそうな日本酒を選んでみました。」とのことで、この三本をセレクトしてくれた。確かに華やかなラインナップ。ラベルの色も寒色系で夏の終わりにぴったりでもある。この中から、「出羽桜の雪女神 純米大吟醸」を選んで注いでもらった。
お店には生ビール(アサヒ樽生ビール 通称「マルエフ」)やレモンサワーもあるので、一杯目はビールかサワーで喉を潤すこともできる。
お通しは二品。日によって全く違ったものが出てくる。今日は、モロヘイヤのスープ、鶏肉と茄子の和え物。モロヘイヤのスープは、太刀魚とゼイゴのアラで出汁を引き、香りづけにクミンオイルが入っているという。赤いのはトマト。ふんわりとスパイスの香りが漂ってくるのに、魚介出汁のせいか不思議と日本酒に合う。
鶏肉と茄子の和え物は、低温調理した鶏むね肉と焼き茄子、刻んだ茗荷を、赤唐辛子、花椒と五香粉と胡麻で和えてある。ピリッと辛くてお酒が進む味わいだ。
こんなにおいしいものをさらりとお通しで出してくれるのはとてもうれしい。お通しには瀬川さんの肴に掛ける情熱が凝縮されていると感じる。
肴のメニューは日替わりで、店内の黒板に掲示されている。こちらは基本的に書いてあるものから選ぶスタイルだけれど、お刺身は頼むと盛り合わせにもしてくれる。
この日のお刺身盛り合わせは、炙りしめ鯖、めかじき、かつおと蛸。炙られた鯖の脂が香ばしくてお酒が進む。魚介類の多くは気仙沼の磯谷水産から取り寄せているので、どれを選んでも外れがない。かつおも鮮度よく脂ものっていて、薬味なしでも十分においしかった。
瀬川さんに二杯目のお勧めを聞いたところ、大倉の飲み比べはどうかと提案してくれた。大倉本家は奈良の酒蔵で、山廃を多く作っているという。基本的にはかなりの辛口なのだけれど、柑橘系の酸にカラメルのような香ばしいフレーバーもある。
「酒と肴ひらの」にはTwitterのアカウントもあって、入荷した日本酒の情報を発信している。お酒好きは予習してから出かけるのもいいかもしれない。
本日は大倉さんのお酒が三種類御座います。「超辛」の純大、特純違いに、神力です!『ただの辛口じゃ満足出来無い』そんなあなたにピッタリのドッシリ超辛!飲み比べ出来ますので是非。 pic.twitter.com/a5AvpzK37H
— 酒と肴ひらの (@shimbashihirano) 2020年9月1日
日本酒に合わせて肴を追加した。ホヤの塩辛は自家製。そろそろ旬も終わりとのことで、サイズは小ぶりになっているそうだけど、味はまだまだ健在。独特の香りとねっとりした口当たりが楽しい。刻まれた胡瓜がよい箸休めになる。
カウンターの向こう側に、十数年以上もこのお店に通っているという常連さんが座っていた。店主が変わっても店名を引き継いでくれているのがうれしいという。三杯目は、その方が飲んでいた変わり種の日本酒をグラス半杯分だけ頂いた。古代米の赤米を使っているのでロゼワインのような美しい色合い。
「旭興 ROSSO 生酛九割九分」
— 酒と肴ひらの (@shimbashihirano) 2020年8月27日
旭興さんから変態オブ変態酒(誉め言葉)が入荷しました。古代米使用、精米歩合99%、生酛、樫樽貯蔵、あらゆる要素を詰め込んだルビー色の美酒!古代米由来のタンニン感と酸味、シャープな甘味よ余韻の苦味はワインを思わせる味わい美味い!是非一度は味わって頂きたいです pic.twitter.com/cdX7VVSSXu
鶏レバーの山椒漬けは、低温調理したレバーを自家製の山椒入りタレに漬けたもの。火入れが絶妙で臭みはほとんどない。ちょっとした小鉢があるとさらに日本酒が進んでしまう。
厨房の奥に鎮座するサラマンダーでカリッと焼かれた鶏もも肉の山椒焼き。じわっとにじむ皮の脂は、先ほど頼んだ「旭興 ROSSO 生酛九割九分」の酸味の強い味わいとも相性がよい。
ここで、瀬川さんに今イチオシの日本酒を聞いてみたところ、三つあるという。いずれも愛知県の酒蔵のもので、左から「米宗 山廃仕込純米」、「楽の世 山廃純米 無濾過生原酒」、「菊鷹 菊一文字 純米 無濾過本生」。
お猪口に一杯ずつ飲み比べをさせてもらった。どれも蔵元で予め熟成されてから瓶詰して販売されているとのことで、ほんのりと琥珀色。味わいもカラメル感とコクがあり、熟成した日本酒のおいしさを存分に楽しめるセレクトだった。
瀬川さんは、自粛期間中に各地の酒蔵が販売したハイアルコール酒を購入して、樽熟成に挑戦したという。シェリー樽に詰められた熟成酒は秋口に差し掛かる頃に飲み頃になる。これからの季節に愉しみが一つ増えた。
この日は、お店のオーナーであり、一番の常連でもあるはたさんとご一緒した。いつでも程よく肩の力が抜けていてくつろげるお店。おしゃべりをしながら、おいしいお酒と肴を楽しめるお店。わたしがついこのお店に来てしまう理由はそんなところにあるのかもしれない。
「割烹山路」へ
紹介したいもう一軒のお店は「割烹山路」といい、同じく新橋駅烏森口から徒歩5分ほどの烏森神社の並びにある。辺りが暗くなってきて、酔客でにぎわう参道を歩いていると気分がふんわりと浮き上がってくる。
こちらも小さな雑居ビルの2階、細い階段の先にある。カウンター6席、テーブルが8席の小さなお店だ。デジャブのようだけれど、新橋にはこういうタイプのお店が多いということでもある。
店主の畠山義春さん。わたしはハルさんと呼んでいる。「酒と肴ひらの」で瀬川さんから紹介してもらって知り合い、ときどき一緒においしいものを食べに行ったり、「ひらの」のイベントで製麺したりしている。
ハルさんの出身は岩手県。高校卒業後に上京し、ホテルニューオータニに就職。その後、六本木や銀座の割烹料理店等を経て、2016年に新橋で「割烹山路」をオープンした。
普段は少しシャイで口数の少ないタイプなのだけれど、とにかく料理が天才的でどんな環境で何を作ってもおいしい。そして料理にかける情熱が半端ではない。
お店では、そんなハルさんが選んだ旬の食材を使ったお任せコースを出してくれる。同じ季節でも毎回少しずつ違い、料理を通じて細やかな四季の移り変わりを感じることができる。
「割烹山路」でもお勧めの席はカウンターだ。ハルさんがこぢんまりしたむだのない厨房で腕を振るいながら、食材や料理についてあれこれと教えてくれる。調理の迫力に唸ったり、次の料理が仕上げられていくいい匂いに陶然となったりしながら、目の前に置かれた至福の一皿に神経を研ぎ澄ませる。
一品目は新潟県産の枝豆。そして、佐渡産のもずく。何の変哲もないようでありながら、枝豆は一粒一粒がしっかりと濃厚な味わいがする。暑い夏の日に喉を潤したくて頼んだビールとの相性が最高だった。
天然のものだというもずくには、三杯酢に叩きオクラとすりおろし生姜がかかっている。わたしはもずくが大好きなのだけれど、ここで食べるもずくは柔らかくて香りがよくて、普段食べているものとは別物だ。ジョッキ一杯食べられるなと思いながら、ゆっくりと啜る。しみじみとおいしかった。
てんぷらを揚げるたまらない香りと出汁の匂いが漂ってきた後に、満を持して現れた一皿がこちら。茄子といちじくと万願寺唐辛子の揚げびたし。いずれも京野菜とのこと。
軽い衣に包まれた茄子といちじくは噛むと出汁がじゅわっと溢れ、果肉がとろりととろける。万願寺唐辛子のサクサクとした歯ごたえもうれしい。この出汁がすばらしくおいしいですねと聞いたら、「鮪節の血合い抜きを使っています。」とハルさん。そのようなものが存在するのですね。
最後に、ハルさんにちょっと目配せをしてから、残った出汁も一息に飲み干してしまった。このお店では、食いしん坊のためならば、多少お行儀の悪いことも許されるのである。
ターコイズブルーのうつわに盛りつけられたお造りは、北海道産のミンククジラと岩手県産の石垣貝に、玉ねぎの酢醤油漬け。お醤油と自家製のポン酢が添えられている。石垣貝は初めて食べたけれど、肉厚で歯ごたえがよく甘みもある。
食材にこだわるハルさんは、築地と豊洲の市場を梯子して、信頼している仲買業者と相談しながら、自分の目で確認して素材を仕入れているという。積み重ねられた膨大な時間と手間暇がこの一皿につながっているのだなあとしみじみと感じ入る。
「ミンククジラは脂が少なめなので、即席の漬けにしてもおいしいですよ。」とハルさんが教えてくれたので、さっそく試してみた。漬けにしてしばらく置くと、クジラの身が醤油の水分を含んでまた別の味わいになる。こういう気取らないやりとりがとても楽しい。
「酒と肴ひらの」ほどではないけれど、「割烹山路」も日本酒推しだ。料理に合わせたセレクトの中から、「一白水成 純米吟醸 雄町」を選んだ。少し酸の立つ華やかな果実味がある味わいで料理を引き立ててくれる。
もちろん、お酒のラインナップもハルさんにお任せすることもできる。料理に集中することを考えるとその方がいいかもしれない。
お椀は、とうもろこしだけで作ったというすりながし。爽やかな口当たりの後、柔らかい甘みと強い旨みが追いかけてくる。上に乗せられた紫雲丹の濃厚さが全体のアクセントになる。とても贅沢な口直しといった趣だ。
食材について丁寧に説明しながらも、ハルさんの手は止まることがない。真剣な眼差しが向けられているのは串打たれた鮎。厨房の奥に備え付けられたサラマンダーからは、川魚が香ばしく焼かれているたまらない匂いが溢れ出たところだ。このお店のカウンターは、料理が今まさに作り上げられていく臨場感に満ち満ちている。
四万十川で採れた天然の鮎の塩焼き。今年は「割烹山路」に通ったおかげで天然の鮎を何度も食べることができた。そのときどきで少しずつ味わいが違うことも知った。
カリカリに香ばしく焼かれた鮎を頭からかじる。ハルさんのお勧めは、ワタに辿り着いたあたりで添えられた蓼酢を少しつけて食べること。ほろ苦くかぐわしい鮎のワタの風味を蓼酢がぐっと引立ててくれる。
蓼酢に使われているのは、岩手県で作られている「どぶ酢」。どぶろくを作っている酒蔵が醸造したにごりのお酢だ。まろやかな酸味の中に何とも言えない旨みがあって、酸っぱいものが好きな向きにはたまらないと思う。わたしは鮎を食べた後、添えられた蓼酢をすっと全部飲んでしまう。
晩夏に脂がのってくるという鱧の柳川風が出てきた。ふんわりと柔らかく淡泊な鱧に、ささがき牛蒡と三つ葉が入っている。実山椒が味のアクセントだ。とろりとした卵が全体をまとめて、そろそろ満ちてきたおなかにするすると入っていく。
鱧の話を聞いているちょうどその時、厨房ではかぐわしい匂いを漂わせながら土鍋ごはんが炊き上がろうとしていた。常連はみな知っていることだけれど、「割烹山路」の炊き立てご飯はめちゃくちゃにおいしい。
以前ハルさんに炊き方を聞いたところ、丁寧に教えてくれたので家でもやってみた。確かにおいしく炊けたけれど、お店で食べたものとは全然違う。この家庭でどんなにがんばっても再現できない域にあるのが、プロの仕事なのだろう。
一膳目のご飯は炊き立てすぐのものを出してくれる。水分が少し多めで瑞々しい。そのまま食べてもおいしいご飯に、この日は軽く締めた新子と自家製のいくらの醤油漬けをのせた丼を出してくれた。贅沢すぎる。新子の香りの爽やかさ、いくらの濃厚さとプチプチという華やかな歯ごたえ、なによりもご飯のおいしさに陶然となる。
しかも白ご飯はここで終わりではない。二膳目を、少し蒸らして落ち着いた頃合いで出してくれる。これが程よい粘りと一膳目とは違う風合いがあってとてもおいしい。この日はさらにパリッと焼かれた鰻が乗ったうな丼として供された。おいしいご飯の上に乗った丁寧に焼き上げられたうなぎ、そして甘辛いタレ。言葉もないとはこのことである。
しかし、ラスボスはまだ倒されていない。言葉もなくうな丼を平らげた後に、ハルさんに腹具合を聞かれる。蕎麦が入るかどうか、確認されるのだ。ご飯を食べた後にさらにお蕎麦は入らないと考える向きもあるかもしれない。わたしも以前はそう考えていた。でも、今は迷わず「お蕎麦食べます。」と言うことになっている。なぜならとても美味しいからだ。
ここのお蕎麦は日中のうちに手打ちされている。そば粉の産地は岩手県の八幡平。ハルさんのご両親の生まれ故郷だといい、標高が高い場所で作っているので少し甘みがあるところがよいのだそうだ。
最初はそのまま、次に塩を少しつけて食べてみてほしい。その後にそばつゆに薬味を入れて味わう。わたしは塩を付けただけのハルさんのお蕎麦がとても好きだけれど、そばつゆを使わずに蕎麦を終わることもできない。いつもとても悩ましい。
ここまで食べてもう満腹と思ったら、最後にちょっとしたデザートが出てくる。この日は小玉スイカと二種類のぶどう(クインニーナとオーロラブラック)。すいかは瑞々しくぶどうはさっぱりと甘い。いつもデザートまで全く隙がない。まさにプロの仕事だと思う。
どんなにがんばっても自分では手の届かないプロの味を楽しみたくなったときに、また「割烹山路」を訪ねることになるだろう。
最後に一つだけ、「酒と肴ひらの」と「割烹山路」はどちらも新橋にあるけれど、二軒を梯子することはあまりお勧めしない。なぜならば、どちらも料理がおいしいので、おなかがいっぱいになってしまうからである。
せっかく近いのだから、梯子してしまおうという誘惑をぐっとこらえて、どちらのお店も空腹の状態で訪問することを強くお勧めしたい。